夏、鎌倉2025年08月11日 14時29分34秒

もう20年以上前のことです。

この時期になると、まだ小さい子供2人を連れて、一家4人で鎌倉旅行したときのことを、ときどき思い出します。あのときは鎌倉から江ノ電に乗って、途中、大仏様を拝んでから、江の島観光に向かったのでした。


夏の盛りの、緑の濃い時期です。何せ人気の鎌倉ですから、観光客は当時も多かったはずですが、まだ外国からの旅客は少なかったので、今よりはのんびりした時間が流れていた気がします。

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大仏様を拝んだということは、我々は長谷の駅で乗り降りしたはずで、私がそれを見たのはその隣駅だったと記憶しています。隣といっても、一つ手前なら由比ヶ浜だし、一つ向こうなら極楽寺になるわけですが、その辺の時系列が、今では曖昧になっています。

その由比ヶ浜だか、極楽寺だかのホームに電車が滑り込む間際、私は日差しの明るいホームに、白い和服を着た女性が立っているのを見ました。日盛りのホームはがらんとして、ほかに電車を待つ人は少なかったです。その着物姿は、鎌倉という土地に至極似つかわしい気がして、私はそこに一種の旅情を感じました。


電車が止まり、その女性も当然、我々が乗った電車に乗り込むのだろうと思いましたが、ドアが開いてもその人の姿は見えませんでした。おや?とホームに目をやっても、そんな人の姿はどこにもないのでした。何だか妙な気がしました。

私はそのことを同行した家族にも言いませんでした。わざわざ言うには、あまりにもとりとめのない話だし、当然自分の見間違いだろうと思ったからです。ただ、改めて考えると、その日はちょうど8月15日で、何かそこに意味があるようにも感じられました。


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何だか出来の悪い怪談話をするようで恐縮ですが、ここに怪談的なプロットは何もありません。たしかに鎌倉という舞台設定と、消えた白衣の女性という点に、何となく怪談的要素がありげに感じられますが、出来事としては、女性の姿がふと見え、ふと消えただけのことです。

ただ、私には不思議体験みたいなものがほとんどないので、あの日のことはとても印象深く、今でも思い出すたびに不思議な気がします。

この思い出は、以前もこの場で書いた気がするのですが、今検索しても見つかりませんでした。書いた気がするだけで、本当は書いてないのかもしれません。でも本当に書いていたら、そのとき書いたことと、上の文章を比較することで、記憶というのが歳月とともにどれだけ変形加工されるものか、それを実証する材料にはなるはずです。

(※写真は鎌倉ではなくて、名古屋市内)

家路へ2025年05月31日 10時45分55秒

4月13日付けの直前の記事で、自分がひどく鬱っぽいようなことを書きました。たしかにそれは嘘ではなくて、自分が定年を迎えたという事実が、有無を言わさず私の心を陰鬱な方向に引っ張っていたのです。

ふつうに考えると、定年を迎えたといっても、そのまま同じ職場で再任用となっているわけですから、表面上は何も変わらないし、責任のない立場になって、かえって気楽になったんじゃないの?と言われればそのとおりなのですが、そこには老耄と頽落に対する不安と恐怖もあって、やはり気楽一辺倒とはいきません。

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でも、記事が中断していたのはそれだけが原因ではありません。
鬱の気分を振り払うため、しばらく旅に出ていたからです。

旅といっても、例によって脳内の旅ですが、自分がこれまで知らなかった世界――古典籍や古写経、あるいは古裂(こぎれ)や料紙なんかの世界――を覗いて回っていたのです。和骨董への関心は元からありましたから、自分はそれらを既に知っている気がしたのですが、実際に覗いてみると、自分が何も知らなかったことに気づいて、大いに驚きました。それらはまことに刮目すべき一大世界です。でも近時においては顧みられることの少ない世界でもあり、そこがたぶん今の自分と重なって感じられ、少なからずシンパシーをおぼえたのでしょう。

そして、これぞ旅の効用でしょうが、こうして新しい世界に触れたことで、古血はふたたび鮮血となり、脳髄のシナプスも放電を始め、こころは自由を取り戻しました。こうなれば旅もひとまず終わりです。

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しばらくぶりに家に帰ってみれば、spamコメントが埃のように堆積しており、なんじゃこりゃ…と思いましたが、これも己の不徳の致すところ。まずは掃除機をかけて、コーヒーを一杯淹れてから記事を再開することにします。


春なのに2025年04月13日 16時17分08秒

どうも完全に鬱っぽいです。

ただし、内因性の「うつ病」ではなく、いわゆる外因性の「抑うつ状態」というやつです。その原因もあらかた分かっているので、状況が変わるまでは、じっと我慢です。こういうときはジタバタしても、あまりいいことはありません。

1つ前の記事でお伝えした京都のイベントも、無理すれば別ですが、無理をする性格のものでもないので、前言を翻して恐縮ですが、今回はオンライン参加に切り替えました(それでも参加できるかどうか、我ながら不確かです)。

それにしても、このもって行き場のない気持ち。
夜中にふと「畜生!」と叫んだりするんですが、畜生呼ばわりの対象は他ならぬ自分自身なので、もう本当に救いがないというか、「やるせない」というのは、こういうときに使う言葉かもしれませんね。



世界はときに美しく、ときに…2025年03月22日 21時42分28秒

今日は久しぶりに休日らしい休日でした。
この辺で、たまったブログの記事を書くという選択肢もあったのですが、何せ天気もいいし、家の中でキーボードを叩いているばかりでは辛気臭い…というわけで、散歩に行ってきました。別に遠出をしなくても、近所に里山が残されているのは、こういうとき本当にありがたいことです。


春本番を前に、木々は新緑の装いをする一歩手前。


この辺はだいぶ緑が濃いですが、いずれも常緑の木々です。


空はあくまでも青く、ここが街中からほど近いことをしばし忘れます。


落葉に埋もれるようにして、目の覚めるような色を見せるスミレの花。


この水場がオタマジャクシやトンボでにぎわう日も遠くありません。

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…という具合に、気持ち良く散歩しているときに、ひどく心を傷つけられるのが、投げ捨てられたゴミです。まあ、その一部はカラスの仕業であることが、嘴でつつきまわされた痕から容易にわかるのですが、下のようなのは当然カラスの仕業ではないでしょう、


これは名古屋市の「ボランティア袋」というもので、ボランティアさんの清掃用に市が配布しているものですが、いったいなんでこんなものが投棄されているのか。


まったくわけが分かりませんが、何にせよ、もうちょっと真面目にやってほしいと思います(私も道端のごみを拾いながら歩いたので、こうやってぼやく資格はあるはずです)。

近況2025年02月21日 18時56分08秒

神経痛はなかなか厳しいです。

書きたいこと、書かねばならないことはたくさんあるのですが、痛みがあるとなかなか文章が書けません。もちろん書くことに集中して痛みを忘れる…というパターンもあるとは思うし、実際そういう場面もありますが、持続的な痛みは一種の「精神的騒音」に他ならず、大音量で聞きたくもない音を聞かされ続けては、やっぱり文章を練るのは難しいです。

…とここまで書いて、はたとノイズキャンセリングイヤホンのことを思い出し、「痛みのもとだって、結局は神経を走る電気信号であり、「波」に違いなかろう。波であるからには、それと逆位相の信号をかぶせてやれば、痛みはぴたりとキャンセルされるはずだ」と思いつきました。そんな研究があるのかないのか、でも実用化されたらいいなあ…と夢想するぐらい、痛みに苦しめられている自分がいます。

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明日、MRI検査を受けることになっていて、私にとっては人生初MRIです。
炎症反応に拮抗して痛みを抑える薬に加えて、神経に直接作用する痛み止めも追加で処方してもらい、とりあえず科学の進歩の恩恵に浴しているのですが、でも痛みというのは人間存在の根源に触れるものがあるなあ…と、思考はいつもそこに戻ります。しかし人間存在の根源だろうが何だろうが、痛いものは痛くて、やっぱり痛みはないに越したことはないです。

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脊椎カリエスの激痛に耐えて文章を書きつづけた正岡子規の先例もあるし、泣き言はこれぐらいにして、私も少しずつ記事を再開します。

(病床の子規。死の2年半前の撮影。この頃はまだ身体を起こすことができましたが、徐々に寝返りすら打てない状態となりました。出典:『新潮日本文学アルバム 正岡子規』)

春なのに2025年02月16日 08時52分18秒

昨日はよく晴れて暖かい日でした。
梅もほころび、本格的な春の訪れが近いことを告げています。


私もようやく重い腰を上げて、庭の片づけをしていました。
冬の間、枯れたまま放置していた宿根草を刈り取って、せっせと袋詰めにしたのですが、その下にはすでに青いものが芽吹いており、明るい陽ざしと清新な緑の対比に、絵に描いたような早春の気配を感じました。

しかし好事魔多しとはよく言ったものです。
片付け仕事が終わってしばらくしたら、坐骨神経痛が勢力を盛り返し、私の重い腰はますます重くなってしまったのです。このところ割と調子が良かったので、油断したのが良くありませんでした。

今は薬で痛みを抑えているものの、昨夜は久しぶりに痛みで眠れませんでした。
明日、早速かかりつけの整形に行ってこようと思います。

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坐骨神経痛は同じ姿勢を続けるのがタブーなので。ブログの方も休み休み続けることにします。

尽形寿(じんぎょうじゅ)…この身尽きるまで2025年01月18日 09時03分43秒

坐骨神経痛に苦しんでいました。

いわゆる神経痛(神経障害性疼痛)と呼ばれるものの代表が、坐骨、肋間、三叉の3種で、特に最後の三叉神経痛の痛さは耐え難いものである…と聞いていました(痛さのあまり自殺した人がいるとかいないとか)。

それに比べればまだしもですが、坐骨神経痛の痛みも相当なもので、ときには思わずうめき声が出るような激痛に襲われ、夜も眠れないような状態に陥っていました。

神経痛というのは、(大抵の場合)命を損なうことはないにしろ、QOLを大きく低下させるものであることが、経験してみて大変よく分りました。こうしてブログの趣旨を離れて、あそこが痛いだの、ここが痛いだのと、健康記事めいたものを書かざるを得ないことも、QOL低下の一端だと思います。

それでも、今は少しずつ薄紙をはぐように痛みがおさまってきているような気がします。このまま沈静化してくれることを心底願います。

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それにしても、ここに来て睡眠時無呼吸、腰痛、坐骨神経痛と来て、先週は緑内障の診断を受けました。右目の視野がだいぶ欠損していると言われて、困ったなあと思いましたが、とりあえず日常生活には支障がないので、これから薬で進行を抑えていくことになります。

もう身体中ガタが来ているんですが、この感じ、何かに似ているぞ…と、しばらく考えて「ああ、あれだ」と思いました。家電製品が壊れるとき、一斉に壊れるというやつです。同じ時期に買った家電製品はだいたい同じ時期に寿命が来て、買いなおすたびにそれがまたシンクロして…みたいなことだと思いますが、私の身体の部品も、あちこち一斉に寿命を迎えつつあるのでしょう。こちらの方は買いなおすわけにもいかないし、もう諦めて受け容れるしかないですね。

まあ、昆虫なら60世代も繰り返す期間、たった一つの肉体で乗り切ってきたのですから、それもやむを得ません。そしてヒトの60世代を超えて生きる仙人とかヴァンパイアだって、きっと最後は同じような嘆きを漏らすんじゃないでしょうか。

人に生老病死あれば、天人にも五衰あり。

(この世に生れ、育ち、老い、そして死んでいく人の一生。それもまた現象世界で永遠に繰り返される輪廻の一コマであり、そこから速やかに解脱すべきことを解く「熊野観心十界曼荼羅」(部分))

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普通の記事も少しずつ再開します。


痛!2025年01月12日 12時46分01秒

今回の労役の成果として、「座骨神経痛」をお土産にもらいました。
まあ前から症状はあって、今回も痛み止めを飲みながら作業していたのですが、帰ってきたら痛みが増悪し、椅子に座っているとお尻がずきずき痛むし、かといって立っていると今度は腰が痛くなるので、今は膝立ちでこの文章を書いています。たぶん傍から見ると、馬鹿っぽい姿に見えることでしょう。

(全高60cmとかわいいサイズの人体模型。大正頃?の日本製)

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しかし、痛みというのは実に不思議なものです。
痛みは不快な経験には違いありませんが、この「不快」というのが、昔から私にとっては大きな謎でした。

たとえば現代のロボットには、既に視覚と聴覚、さらには触覚も組み込まれています。将来的には味覚や嗅覚もそうなるでしょう。その先には当然、痛覚も…となるはずです。そのときロボット(AI)は、痛覚刺激を避け、痛覚刺激を与えられると、苦痛を表現するようプログラムされるでしょうが、彼/彼女は単にヒトの痛み反応をシミュレートしているだけで、決してヒトと同じように「不快」を経験しているわけではない…という議論は、当然起こるでしょう。

これは哲学の分野で古くから議論されている「感覚質(クオリア)」の論点で、その先には当然「意識とは何か」という問いがあり、『攻殻機動隊』のキーコンセプトである「ゴースト」の概念にもつながってきます。

まあ、この点はシンプルに「他の人間も“私と同じような”意識を持ち、感覚質を経験しているかどうかは、永遠に分からないのだから、ロボットだけ除け者にする必要はない。ロボットが痛そうにしていたら、それはすなわち“苦痛を感じている”ということだ」と考えていいのかもしれません。

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この問題は、古今東西の賢人が長年にわたって侃々諤々の議論をしても、クリアな結論はいまだないぐらい難しい問題ですが、そういう難しい問題が、今まさに私の肉体を舞台に展開されており、私の臀部は私の脳に対して「痛みとは何か?」「痛みはいかにして不快経験たりうるか?」と問いかけているのです。実に不思議なことであり、ある意味感動的な光景だとも思います。

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痛みに苦しみながら、ネットを見ていて以下の論文を見つけました。
それによると、瞑想に入ったヨガマスターは、普段どおり会話できる一方、痛覚が消失し、それは痛覚関連脳磁図の所見からも確認されたそうです(瞑想時以外には、一般健常人と同様の脳磁図所見だった由)。

■荻野祐一 他
 『痛みの感情側面と痛覚認知』
 日本ペインクリニック学会誌、Vol.15 No.1 (2008), pp.1-6.

こういうのを見ると、刺激によって引き起こされる「痛覚」と、それに伴う「不快経験」は分離可能であり、それを意識的にコントロールすることもできそうな気がしてきて、大いに希望が持てます。


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痛みはあくまでも生体のために存在するのであって、生体が痛みに圧倒され、それに遠慮するようでは、たしかに本末転倒な気はします。

鳥啼き泪涸れ果てぬ2025年01月10日 17時22分56秒

今週から仕事始め。
それと同時に鳥インフルエンザが猛威をふるい、身辺もバタバタです。

白い防疫服に身を包み、若武者に後れをとるまいと現場に赴きましたが、はかばかしい働きもせず、星空の下でいたずらに白い息を吐くばかりでした。やはり老いたる身には過酷な環境です。

殺処分の非情なることは言うまでもありません。
それでも、そこになにがしかの意味があればこそ、いくら鶏を屠っても、あとからあとから患畜が発生して、感染拡大が止まらないとなると、なんだか自分のやっていることに意味があるのかないのか、だんだん不条理な心持ちになってきます。もちろん、全部の鶏を「処分」してしまえば、それ以上の感染拡大はないわけですが、それでは意味がありません。

むしろ殺処分をやめて、斃れる個体は斃れるにまかせ、結果的に生き残った個体を「ウイルス耐性のある個体」として、継代飼養した方がよいのではないか…?
獣医学的に正しい理解かどうかはわかりませんが、そんな考えも頭をかすめます。

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破滅に瀕した世界を描く、楳図かずお氏の『14歳(フォーティーン)』。
あそこに鶏肉工場で生まれた、チキン・ジョージという鶏頭人身の天才科学者が登場します。いかにも異常なキャラクターですが、鶏とヒトの関係が極限まで歪んだ先に、彼は立っているのでしょう。


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殺処分の現場では、大地を離れた鶏たちの命が、幾筋も煙のように連なって空へと昇っていく様が、心の目にぼんやりと見えました。今宵は私も線香を一本焚くことにします。


変わる歳末風景2024年12月30日 10時39分58秒

今年は郵便代の値上げのせいで、年賀状じまいをされた方も多いと思います。
私もご多分に漏れず、今年は賀状を書くのをやめてしまいました。「年賀状じまいの挨拶」すらさぼったので、かなり義理を欠くことになりますが、まあ自分は“その筋”の関係者でもないし、それほど義理を重んじることもなかろう…と達観することにしました。

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Prosit Neujahr ! 新年おめでとう!)

20世紀初めにドイツで刷られた古絵葉書。
空で行きずりの挨拶を交わす三日月と彗星、それを望遠鏡で見上げるスノーマン親子を、クロモリトグラフで仕上げたかわいい作品です。


消印を見ると、1909年12月31日に、ドイツ東部の田舎町ゲリングスヴァルデで投函されたものと分かります。

この種のカードは今も大量に残されていて、紙モノマーケットで一大勢力を誇っています。上のカードは日本の年賀状と同趣旨の、もっぱら新年の挨拶用ですが、クリスマスカードと一体化しているものも多く、この辺は国によっても多少習慣が異なるのでしょう。

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ときに、ふと気になったのが、昨今のクリスマスカード事情です。
ひょっとして日本の年賀状離れと同様のことが、海の向こうでも起こっているのかなあ…と考えつつ検索すると、ただちに関連記事がいくつも出てきます。

たとえば、下はWEB版「The Citizen」誌に、同誌のシニア・レポーターであるPaul Owere 氏が寄せた記事で、つい先日、今年の12月25日に掲載されたものです。

 (クリスマスカードの凋落:テクノロジーはいかに祝日の伝統を衰退させたか)

かつて年末の風物詩であったカードのやりとり。
12月の声を聞くと、そそくさとカードを準備し、一通一通メッセージを書き、投函したあと、お返しのカードが届くのが待たれたあの時間―。しかし、デジタル時代の到来とともに、少しずつ変化が生じました。メールが、インスタントメッセージが、そしてSNSが、人々の意識と行動を最初はゆっくりと、やがて急速に変えたのです。

Owere氏は述べます。

「人々がカードの必要性を疑問視し始めるまで、そう時間はかからなかった。単に祝日仕様の電子カードを送信したり、インスタグラムでお祝いのミームを共有したりするだけで済むのに、なぜカードを購入する費用、時間のかかる手書きのメッセージ、郵便代を気にする必要があるのか。

〔…〕多くの点で、テクノロジーは、ホリデーシーズン中に大切な人と有意義な形でつながるという、クリスマスカードの本来の目的に取って代わったようだ。

デジタルメッセージを送ると、より速く、より効率的で、多くの場合、より気楽に感じられるようになり、紙のカードを受け取ることで得られる期待感や親密さが失われた。封筒を開いて心のこもったメッセージを見つけ、マントルピースや冷蔵庫にカードを飾るという魔法は、薄れ始めたのだ。」

日本の状況と不気味なほど似ています。
別に日本人とアメリカ人が話し合って決めたわけでもないのに、まったく同じ現象が同時に進んでいるというのは、結局、ヒトは類似の環境に置かれれば、国家・民族・宗教の違いを超えて、自ずと類似の行動をとるからでしょう。

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ただ、Owere氏も述べるように、クリスマスカード(や年賀状)の習慣がすたれ、送ることが稀になればなるほど、そこに一層明瞭な意味が生じるのもまた確かです。自分が出さずにいてなんですが、それらは温かい思いやりや、個人的親密さの表現として、たぶんロングテールで生き残るんじゃないでしょうか。